子供が受け取るはずの…

今日は幼稚園児の末っ子が週末の展覧会の振替休日でした。

 

一昨年くらいまでの私なら、たまの平日休み子供達と何してどこで楽しもうかと、どんな体験させてみようかと意気揚々と想像膨らませて予定を立てておりました。

 

が、今はもうそんな気はサラサラなくてむしろすっかり忘れてた…。

 

今日は私が所属している陶芸ボランティアの活動日、しかも焼成で一日中制作に打ち込める貴重な日でした。

 

何の迷いもなく、休憩用のお茶菓子と子供が遊べる私の粘土を持って子連れで陶芸やりに行きました。

 

これが今の私の、末っ子そうちゃんの、普通。

 

連れていっても、みんな私の親に近い世代で可愛がってくれるし、絡んでからかって面倒みて、お皿作ってれば教えて直して手伝ってくれる。

 

適当に、彼なりに、作って歌って食べて楽しんでる。

 

私も要所で面倒は見つつも普通に手放し、自分の制作の時間に没頭。

 

彼は、ずっと作って欲しいと言ってたペンギンのお皿と、もう一つ小鉢を作成!

 

適度に手を出し形にはしてあげつつも完成度は求めず。穴が開いてなければお皿になるわってな具合で目を付けたり模様を描いたり、自分で作った感を大切にすること。

 

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帰りに寄り道して夕焼けに染まる富士山を眺めつつ帰ってきたら、お兄ちゃんに陶芸でお皿作ったこと、富士山見てきたこと自慢して、今度は一緒に行こう!と。

 

今日見せてもらったヘンゼルとグレーテルのお家と人形に感化されて、マリオのお家を作ろうねと、一所懸命お兄ちゃんを誘ってました。

 

私はこの10年程、こうやって自分が楽しみたいフィールドに子連れで行くことが出来ませんでした。

 

どうしても、手放せなかったのだと思います。

 

今は子供の事は、自分のことも子供のことも周りの人も全面的な信頼の元に、安心して手放し自分のことに集中することができるようになりました。

 

子供が受け取るはずの感じるはずの経験という宝物を、心配とか迷惑とか色々な理由をつけて母が奪ってはいけなかったのですよね…。

 

私がこれまでに大切に育んだ我が家の子供達は、今いるこの世界で、自分で考えて見つけて交流して、楽しみ愛され学ぶことが出来るのだから。

 

だから私は私で安心して、子供らに負けないように恥じないように全力で自分に集中し、学び楽しむのです。

 

自分が見ているこれが今の私の世界✨だったら世界はきっとものすごく優しいのです。