ヌード絵画の魅力って
ついこの前までやっていた「怖い絵 展」監修の中野京子さんが、名画全集のヌード巻を編集したということでその記念講演会に行ってきました。
「怖い絵 展」は連日大行列で、いつもの展覧会とは一風変わって若い人もすごく多かったと様々なところで見かけました。
が、講演会はいつもの美術展に出かけた時同様の客層な感じ、高齢の方が多かった気がします。ヌード絵画というテーマもあるんですかね…。
それまで多かった、いわゆる男性目線からのヌード絵画の捉え方とは違ったところからの、彼女独特のヌードという表現の考察。
私は彼女の本はこれまでチラ見した程度。
今回触れるのが初めてなのに直接話を聞くという、ある意味贅沢な時間でした。
感想は、、、
一言でいうと、私とは絵画の楽しみ方が違うようで合わないかなと。
絵画を、背景とか置かれた状況とか様々なところから紐解いていって広げて深めていって、まるで本を読むように物語を楽しむように鑑賞していく方法が人気なんですね、きっと。
私はというと、やっぱりヌードは男性的な楽しみ方をしたいなと。
憧れと畏怖、艶かしさと儚さと泣きたくなるほどの現実、誰もが持ってるのに憧れて決して近づけないまるで神のような気高さと。
一つ印象に残ったのが、数少なく貴重と言われているゴッホのヌード絵画の一つ。
ゴッホが結婚を考えていたのに振られたといわれている、子持ちの娼婦の「悲しみ」という題名のついた色のつかない絵。
なんというか、観ていて痛くてたまらなかったの。
彼女がというか、それ以上にそれを描いたゴッホの痛さをヒシヒシと感じて。
きっとすごく愛していて大切だと思っていたんだなと。
私は絵画を見て気に入っても、サラッと知識として知りたいと思うくらいであまり深くその人物像まで読み込まないんですが、それでも、その絵画たちを見てまずドーンと感じて、どんな時代にどんなふうにして暮らした人が描いたのか知るだけでなんで自分がそれを見て感じたのかは繋がってくるし、なんというかその魂と共鳴する感じがするの。
この振った彼女も、そのゴッホの純粋すぎるが故の深すぎる痛みとそのまままっすぐ生きるしかない彼と共鳴し続けることは出来なかったんだろうなと、空想するというか感じた感覚を深めていくというか…。
私はやっぱりそんな楽しみ方が合ってるようです。
なんというか、右脳で感じたこと思ったことを左脳に移さずに、移したとしても再び右脳に戻して、ただひたすらに意味なく感じきること。
右脳だけで完結していいことってあまりない気がするのよね〜〜。
帰りには神保町という場所柄、思いがけず大好きな歌麿の本物の版画を見る事が出来て、やっぱりそっちにときめいた😍
絵画を通して魅力的な人たちにたくさん恋してときめいて、切なく涙して、幸せに浸る時間もまた素敵な時間です🎵